伊勢藤

伊勢藤

店の中はいたって静かだ。鉤型の卓に囲まれた一辺二尺ほどの囲炉裏の前で、作務衣姿の三代目が正座しながら掌で徳利の温度を確かめ、燗をつけている。仄暗い中、囲炉裏では赤々とした炭火が自在鉤に吊るされた鉄瓶を熱している。

神楽坂は毘沙門天にほど近いここ伊勢藤の店内、見渡せば日本家屋そのもので通りに面した窓は障子になっており、時たま外を通りがかる人々の声が聞こえてくる。隅に暗がりが出来る程度の照明が空間に広がりを持たせていて窮屈には感じない。柱は漆か柿渋か、経年により黒く鈍い光を蓄えており判然としないが、屋内の落ち着いた印象に一役買っている。

店主の横には腰の高さほどある大きな薦被りの四斗樽が置かれている。白鷹の黒松だ。ここでは飲み物といえば日本酒、しかも白鷹のみで、これを飲まないと水すら出てこないことになっている。強いて選択肢があると言うならば、それは冷やか燗の二択。冷やとは言えどきりりと冷えているわけではなく常温のもの、燗の温度についてならある程度希望を聞いてくれる。

席を指定され、麻葉紋の紺座布団を載せた丸太切り落としの簡素な椅子に腰掛けた。「燗でよろしいですか」と問われ頷くと、一升瓶からちろりに酒が注がれ炭火を囲む銅壷で温められる。炉は掃除が行き届いており、灰の表面は綺麗に撫でつけられている。爆ぜる音もなく均質で細かな灰を見るに炭も上質なものを使っているのだろう。

温度を指定せずに燗酒を頼むといい塩梅の温度で出してくれる。例えば一本目はぬる燗で、その次はもう少し温度が高くなるといった具合。

白鷹は灘の宮水で仕込んだ男酒。リン含有量が多く硬度の高い水で仕込まれるゆえに発酵が強く、酸の効いた辛口芳醇で燗の似合う灘の酒だ。日本で唯一伊勢神宮で毎日神前に供えられているものでもあり、こと神楽坂では歴史的経緯もあって白鷹を贔屓にしている店が多い。

ややあって徳利に入れられた燗酒が出て来るのと時をほぼ同じくしてアテが運ばれてきた。小鉢が三つ、後からは味噌汁も運ばれてくる。田楽、くさや、畳鰯などといったものも品書きに書かれているが、徳利を三本程度楽しむならこのお通しだけでも十分だろう。しかも三本目からは一本につき一皿、小さなつまみも供される。
盃は盃台と組のもの。今ではすっかり珍しくなってしまった盃台だが、使われているのは茶事で使われるような高台が高く鍔広がりのものではなく、風炉のような出で立ちの素朴な土ものだ。

ぐいと盃を呷り、靴紐を解いていくような開放感に浸る。生酛造りの押し味が効いており、コクと酸の均衡もほど良い。

店の中が静かとはいえ、客がいないわけではない。いや、むしろほぼ満席なのだ。ここでは静かに酒を飲むという習わしのようなものがあり、酔って声が大きくなろうものなら店主に一喝される。壁にかけられた扁額の一つには「希静」の字。希(こいねがわ)くは静たらんことを、と。そう、他の店と一線を画しているのは静けさにほかならない。旨い料理や酒を求めるならばここでなくともいくらでもあるだろうし、日本家屋を用いた店というのもあるだろう。しかし、静かに酒を飲めることが保証されているのは唯一伊勢藤くらいのものなのだ。

連れ合いで来る客たちはひそりひそりと慣れない声音で話している。追加の注文時などに声を張らずとも良いように、座敷に座る客向けには呼び鈴が用意される。鈴とはいえど茶道で端午の節句に槍鞘建水とともに用いられる駅鈴蓋置のようなドーナツ状のもので、一般の鈴に比べて鳴り音はかなり低い。どういうわけか店主は声を落とした静かな会話にさえ埋もれそうなその穏やかな音を正確に聞き分けている。

二本ほど徳利を空けた頃合いだった。障子戸を通して石畳に雨粒の当たる音が聞こえ出し、さぁと冷たく心地良い風が入り口から吹き込みはじめる。雨は次第にその勢いを増し、それとともに吹き込んでくる風も強くなった。稲光に続いて、ドオと雷鳴。いそいそと店主が入り口の戸を締める。

その夜は皆が一様に、障子一枚を隔てて聞こえる雨音と、時折混じる雷鳴を聞きながら徳利を傾けていた。

雨がやや収まり多少濡れても良いかと会計を済ませ、席を立とうとすると、店主が傘をお持ちくださいと申し出る。心配には及びませんと断りを入れるが、いけません、風邪を引かれては手前が申し訳ない、是非にお持ちくださいと。

そういった訳で傘を拝借して縄暖簾をくぐり出て帰って来た。一夜明けて晴れ間の覗く朝、店主の生真面目さが詰まった傘が玄関に小さな水溜りを作っている。近々、返しに行かねばなるまい。